松井がつくる文化

大衆を魅了し続ける「嘉穂劇場」 前編

H15.7.19 福岡県北部を襲った記録的豪雨

被災直後の状況

平成15年7月19日早朝、福岡県北部に局地的な豪雨が降り、博多駅周辺および飯塚市に大きな被害をもたらした。
遠賀川・穂波川(飯塚市)の川沿いに位置していた嘉穂劇場は、舞台上1.1メートルまでに達した濁流により、一瞬のうちに廻舞台、1階客席、楽屋、舞台設備などが壊滅的な被害に見舞われた。

復旧~嘉穂劇場再開への道~

被災前の劇場は個人経営であったため、被害の大きさから復旧も難しく廃業を覚悟したという。
しかし、被災直後から、一般市民や芸能界他各界から復旧を望む声、飯塚市の歴史的遺産を守ろうとする強い思いから、嘉穂劇場復旧委員会が立ち上がり募金やチャリティー公演などの支援運動が行われた。
また、経営もNPO法人として行うことで各助成金等も受けることができるようになり、復旧委員会の指揮の下、再開へ向けた調査が始まったのである。
調査といっても、被害の大きさからして簡単に進められるものではなかった。
嘉穂劇場と同種の芝居小屋であった熊本県山鹿市の「八千代座(国指定重要文化財)」の修復を手掛け、文化財修復の実績がある松井建設へ依頼があり、早期復興を目指して調査、設計へと実際に取り掛かったのである。

復旧調査・復旧準備工事・復旧本工事

破損部の部分補修
下手桟敷の高欄組み立て
所長 濱崎寛
所長 濱崎寛

歴史的建造物の保存修理は、建物の歴史的価値を尊重することが基本となる。建築自体の耐久性・機能性だけではなく、歴史的・文化的価値について事前に十分な認識を持った上で、価値を損なうことのないように工事を進めなければならない。
嘉穂劇場も保存修理として、「歴史的に生きた証人」を将来に伝える作業のため、可能な限り古材を再利用することにした。一旦解体した部材で部分的に使用できない場合でも、全て新材に取り替えることは避け、破損部分のみを繕って、古い部材を出来るだけ再使用し,新材は取り替える前の仕様と加工に倣うことを修理の原則とした。
また、本工事においては建物自体の保存修理を行うだけではなく、後世に技法を伝承するため、解体調査から施工の検討過程、実施過程を綿密に記録し、作業を進めることも課題であった。
『昭和6年に建てられた劇場。被災に遭う前から建物各部の老朽化および木部の腐朽が進んでおり、奈落への漏水や床下の地盤沈下など、調査すればするほど修理あるいは改善検討しなければならない箇所が増えていきました。そのような状況、さらに限られた時間の中で、どこまで手を入れて修復・補強していくか、調整と判断に苦心しました。』
ここで注目したいのが、嘉穂劇場の特異な地盤である。飯塚市は全国有数の産炭地であったが、内陸に位置するため産出した「ボタガラ」は「ボタ山」として積み上げるか、埋め立てられた。「ボタガラ」とは採掘した石炭のうち商品にならない不用物や石炭の燃え殻の総称である。当時、市街地建設のための造成にボタガラが埋め立ての資源として活用されたという。そのボタガラによる造成の圧密沈下と合わせて、建物の沈下に影響したと考えられる。
このような立地条件の中で、今後100年以上、建物を持たせるためには、基礎がしっかりとしていなければならない。
また、劇場としての性格上内部空間が大きく、その大きさに対し軸組・壁の構造が脆弱だったため、地震や強風に対しても影響を受けやすい建物だった。対策として、水害に対する浮き上がり防止とともに、台風時に備えての構造補強(構造壁・鉄骨控え・小屋組桁行トラス・各床面水平トラス)を施した。

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