松井がつくる文化

大衆を魅了し続ける「嘉穂劇場」 後編

廻舞台の復活

廻舞台の支持機構
廻舞台の支持機構

廻舞台とは、江戸中期に造られた日本の舞台機構の一つである。舞台の場面を瞬時に転換する設備で、嘉穂劇場の廻舞台は、筑後に現存する数少ない舞台遺構である。
嘉穂劇場の廻舞台の支持機構は、新柱点と回転床の間に軸受のある「皿回し式」である。
『嘉穂劇場の廻舞台は、昭和39年に周囲床組と連結固定され、以降約40年間廻されることはなかったのですが、劇場より復旧に伴い再び廻したい、廻るのが見たいとの要望があり、補強・駆動・使い方・コスト等を検討した上で、昔のように人力(男10人程度)で廻すという形で復旧しました。』
廻舞台を含めた舞台装置については、全国芝居小屋会議員の協力を得て、昔からの構造に補強を加えた形で復旧することとなった。
復旧工事では、現状保存を原則としたが、廻舞台の回転床自体の強度が不足するため、回転床の周縁及び中間に仮設の回転架台を新設し補強した。そうした工事が行われ、約40年間廻すことが出来なかった廻舞台を創設時のように再び廻すことができるようになったのである。

客席内部(2階桟橋より)
客席内部(2階桟橋より)

『復興式典の公演で実際に廻して使用することとなりました。事前に自分たちで何度も試し、問題はないと思っていましたが、本番となると満員の観客を前に心配になり、2階の桟敷の隅から舞台を見ていました。一人芝居が終わり華やかな踊りへ、30人程の演者を乗せた廻舞台が無事180度回った時の安堵感、そして観客の歓声と拍手は何事にも代え難いものでした。』
水害発生から1年後の7月19日に、市の復興イベントとして、劇場を使用し復興式典を行いたいという強い要望があった。被災後の調査から10ヶ月、準備工事からは6ヶ月という短期間で劇場として利用できる状況に修復するという、時間的制限のある現場であった。さらに、その中で廻舞台という劇場の花といえる装置を復活させることは、現場監督者としてはとてもプレッシャーのかかることだったという。
復旧を待ち望んでいる支援者の方々の期待に応えたいという思いの強さも、そのプレッシャーを増長させていた。

正面上部
正面上部

『嘉穂劇場の復旧工事に携われて、劇場だけでなく、商店街や市全体の復旧への願いやエネルギーを一緒に感じることができました。町が復興していく姿を見ることができ、劇場を通して復興を望む皆様のお役に少しでも立てたことは、本当に良い経験となりました。』
70年以上の歴史を持つ嘉穂劇場。古くは筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者とその家族の娯楽の1つとして親しまれ、芸能文化の中心として根付いたものである。以後、劇場は幾多の名演に彩られ時を重ねてきた。市民にとってはいつも身近にあった劇場。いつも賑やかに市民の成長を見守ってきた劇場。そして、市民の想いに動かされた再建工事に松井建設が携わった意味の大きさは計り知れない。
文化財とは、戻ることの出来ない時間を生きてきた、国の貴重な財産である。日本の文化を語り、理解するには欠かせない生きた証人といえよう。その文化財を後世に残す。ただ残すのではなく、松井建設が工事に携わったことで、今後100年200年と新たな時を刻むことのできるように手を加える。
私たち松井建設は日本の文化を守り、未来へ伝えていくことに強い使命感を持っている。それは、過去、現在を生きた人々の想いを伝えていくことにもなるのだから。

[嘉穂劇場工事概要]

工事件名:
嘉穂劇場復旧工事
発注者:
特定非営利活動法人 嘉穂劇場
調査・設計監理:
松井建設株式会社
構造:
木造芝居小屋、2階建て、入母屋造り、妻入り、正面は東を向く。
規模:
[本体]建築面積1144.43㎡、延床面積1513.71㎡
   [楽屋棟]建築面積132.256㎡、延床面積236.585㎡
   [売店棟]建築面積92.157㎡、延床面積169.446㎡
工期:
平成15年9月8日復旧工事に伴う調査・設計に着手
翌16年2月1日復旧準備工事に着手
同年4月1日復旧本工事に着手
同年7月19日復興記念式典(仮使用での開催)
同年9月10日完全引渡

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